パロディスト、マッド・アマノ。写真を切り張りして作品を製作するフォトモンタージュという技法を用い、社会を風刺するアート作品を世に送り出す、1970年代から活躍するパロディストである。
マッドが山岳写真家・白川義員の写真をに巨大なブリヂストンのタイヤを日本初のパロディ裁判は16年もの長きにわたり続き、以降の日本の著作権の意識に大きな影響を与えた。
日本を代表するパロディスト、マッド・アマノのドキュメンタリーをつくることになった長棟航平は、ミュージックビデオなどで活躍する若手映像作家である。
全く分野の違う二人の邂逅により、本作は生まれた。
ドキュメンタリーなのか、フェイクなのか、観る人を惑わす作品が誕生した。
ミュージックビデオ界で活躍する若手映像作家・長棟航平が、「日本を代表するパロディスト」マッド・アマノのドキュメンタリーを撮影することになった。
のらりくらりと撮影を躱し、飄々と嘘かまことかを語るマッド・アマノ。
マッドとの距離が縮まらず、思うようにドキュメンタリー制作が進まず悩む長棟航平。
やがて長棟の提案により、ひとつのプロジェクトが生まれた。
小さなプロジェクトだが、そのプロジェクトは長棟の周囲の若者たちに影響を与え、マッドと若者の交流が生まれる。
1939年7月28日 東京生まれ。
東京藝術大学美術学部工芸科図案計画卒(1962)
「FOCUS」にて「狂告の時代」20年連載。月刊「創」、月刊「紙の爆弾」、季刊「EYEMASK」、経済専門誌「ZAITEN」、東京新聞(“嘲笑点”)、「十勝毎日」などにパロディーとコラム連載。
「パロディって何なのさ」「リトルボーイとファットマン」、「謝罪の品格」、「原発のカラクリ」など著書多数。
日本法曹史にのこるパロディ裁判は、日本の著作権にまつわる判例において特別な位置にある。
1988年5月31日 兵庫県生まれ。
2011年 大阪芸術大学卒業制作映画「夜が終わる」でCINE VIS CINEMA2013 準グランプリ受賞。
監督、撮影、編集を自分で行うプロジェクトclementine[video boutique]を立ち上げ、通算100本以上のインディーズロックバンドのMVを製作している。
1月29日 東京生まれ。
『誰かの花』(奥田裕介 監督)、『FRIDAY』(四海兄弟 監督)、『夢こそは、あなたの生きる未来』(小野篤史 監督)、『GOSPEL』(松永大司 監督)などの製作・プロデュースを務める。
マッド・アマノとは25年以上の交友を持つ。
政治的主張をバチバチに含む風刺アーティストの巨星、マッド・アマノ氏に接近した若手表現者たちが、彼の強烈な重力によって磁場を狂わされていく様子を描いていくドキュメンタリー映画という佇まいを見せておきながら、事態はもう少し複雑でございまして、アマノ氏の奔放な言動を描く映像はしばしば停止され、代わりに編集室のような場所で佇む長棟監督自身が半ばぼやきながら、映像への説明を加えていくという構成になっています。
狂言回しでもある長棟監督が(まるでバラエティ風のテレビドキュメンタリーのパロディのように)あえて不遜な態度をとる無知なディレクターを演じることで、ドキュメンタリーの中に、フィクションのスパイスが足されています。「被写体を切り取るドキュメンタリー」と「それを見るリアクションを描くフェイク・ドキュメンタリー」がコラージュされた作りになっているのです。長棟作品における匂い立つような彼のナルシシスズムが、ドキュメンタリー映画においても存在することに、羨ましさを覚えたことも書き添えておきたいです。
事前に想定していたものとだいぶ違うものを見させられているような気分は、バンクシーの「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」を彷彿とさせましたが、観進めるうちに「なるほどなあ、これはこれで考えさせられる」という感覚があり、この辺りにアマノ氏の制作スタンスと、長棟監督とのシンクロを感じました。「あなたがどう思うかを俺は決められないし、思いを変えたいというほどでもないけれど、作ったものを見てほしいし、何かを感じてほしい」ってことですね。それはひょっとするとものづくりをする人々すべてに言えることなのかもしれませんが、メッセージ性の塊のようなコラージュを作られてなお、受け取り方は君に任せるよ。と言わんばかりの飄々としたアマノ氏は、想像よりもずっと優しそうに見えました。
アマノさんの奥さんが言った「この人は自分にしか興味がない」が強く残った。自分も、これをたまに妻から言われる。一個のもんだけに溺れてて勝手に追われててずっと余裕なさそうなところが、一見余裕そうに見せてても伝わった。漫談に溺れて死にかけてる自分と重なり、奥さんのその言葉以降、僕はアマノさんを愛していた気がする。
平和を考えるパーティに一切興味示さないのが、人を愛せない的な情け無さが出ててよかった。俺はただ好きなことやってるだけやから、それはちゃうねん、放っといてほしいって顔。何かに取り憑かれたかのような怖い遠い目をしてた。基本的に人をナメてる。じゃないと裁判で16年も争わない。お前の権利ごときで好きなこと邪魔されてたまるかよ、でしかない16年は、ただアホで傲慢で最低だ。僕にはたぶんアマノさんほどパワーがない。アマノさん以上にアホになれない。戦闘機の模型を大通りで飛ばすシーン、めちゃくちゃアホで愛しかった。
そういえば最近ゴミみたいな元芸人がYouTubeで自分の漫談を批評してきたのに対して漫談の中でアンサーしてやったところだったんで、パロディ批判をパロディでやり返すアマノさんの爽快さを見て自分のそれもきっと間違ってないと思えた。パロディに関して少しでも学べて良かったし、喋りのパロディは上手いこと誤魔化せるから気楽だけどアマノさんはちゃんと形にする分、より難しいだろうに圧倒的天然のアホさがあるから戦ってこれたんだと思う。
ああいう生き方は金がなかったりする方がカッコよさそうなもんやのに、わりと贅沢な暮らしをしてそうなアマノさんがあんなに色っぽいのは、何でだろうか。
「生まれ変わっても自分になりたい」アマノさんはきっとそう言うだろうから、自分も死ぬ間際にそう思える漫談家でありたいと思った。
今の生活に飽きだして自分の人生をちょっと乱したいと思ってる人はどうか見てほしい映画です。
ps. 長棟さんとインタビューマンが終始キレてるのがだんだん面白くて、どういう感情かは分からないけど見てるこっちもキレそうだった
マッド・アマノ氏のドキュメンタリーである事は確かなんだけど、愛嬌ある監督のフェイクドキュメンタリーでもあって、それでいて最終的に現実と真実を描き切っていて…。
不思議な作品だけど、現在の理想的なフェイクドキュメンタリーのカタチ。
私たちに「想像」をさせるものは、やはり欠かせない。
パロディも音楽も、そしてこの映画自体も、
見る者聴く者に気づきを与えるような、
途方もなく、美しい物語があるから素晴らしいのだと感じます。
僕たちが誰かに何かを伝えるため、
その背後にどれだけ、どのような流れがあって然るべきなのか。
作品に込められた世界は、
いつだってあなたに手を差し伸べています。
撮影・編集・監督:長棟航平
撮影協力:中田敦樹 / 敦賀零
整音:東遼太郎
音楽:高田風